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弱肉強食のベストアンサーに敢えて反論してみる

弱肉強食 人間

2018/03/15 弱肉強食のベストアンサーに敢えて反論してみる

【あえて反論してみる】

なんだか袋叩きに遭いそうで怖いですが、あえて反論してみます。してはみますが、僕自身も、この人の意見には大賛成しています。だから反論するのは、ほかにどんな答えが考えられそうかやってみるためです。うまく出来るかどうかわかりません。

 



【ベストアンサー】

インターネットというのは便利なもので、分からないことがあればどんな情報でも手に入ります。もっとも玉石混交ですが・・・・・・。単に検索するよりも、直に質問に答えてもらえるという意味では、「Yahoo知恵袋」が便利だと思います。Yahoo知恵袋では、質問した人に対してたくさんの人が「回答」をするわけですが、その中で、質問者がもっとも優れていると判断したものが「ベストアンサー」として選ばれます。

 

弱肉強食 人間

 

そんなベストアンサーの中に。こんものがありました。まず質問の内容はというと、「自然界は弱肉強食なのに、どうして人間の世界ではそれが行われないのか」というものです。それに対するベストアンサーがこんなものでした。「自然界の掟は弱肉強食ではなく、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です」

 

つまり強いからと言って生き残れるわけではない、適しているから生き残れるのだ、という趣旨の答えです。例として虎と兎が挙げられています。虎は兎よりも強いが絶滅危惧種であるのに対して、兎は弱いのに世界中で繁栄している、と・・・・・・。

 

弱肉強食 人間

 

さらに、意見を補強するために、このように言っています。「個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません。ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです」

 

ここまでの内容は、以下の2点に纏められます。

1・自然界では、(種レベルでは)適者生存である。だから個体間の寿命の違いには意味がない。

2・個体レベルでは全肉全食である。

 

まずは、この2点に反論してみましょう。

【自然界では、(種レベルでは)適者生存である。だから個体間の寿命の違いには意味がない】

「自然界は(種レベルでは)適者生存である」は本当か?-これは本当でしょう。ただし、「適者生存である」だから「弱肉強食ではない」とは言えません。「適者生存である」ことが、なぜ「弱肉強食ではない」ことの理由になるのでしょうか。

 

弱肉強食 人間

 

「適者生存」であり、かつ「弱肉強食」でもある、という両立論は成立しないのでしょうか。「適者生存だから弱肉強食ではない」とするならば、その理由を説明しなくてはなりませんが、その説明がこの論の中では欠けています。

 

従って、これだけでは「弱肉強食ではない」と言い切ることはできません。そうすると「個体間の寿命の違いに意味はない」という話にも疑問が湧いてきます。「弱肉強食」である可能性があるならば、個体の寿命や強力性によっても、種の保存が左右されることになるからです。

 



【個体レベルでは全肉全食である】

どんなに強い動物でもいずれは死にます。そして、死ねば喰われますから全肉全食はその通りでしょう。しかし、これは論点のすり替えである可能性があります。

 

全肉全食というのは、個体が死んでからのことも含めた摂理です。しかし質問の趣旨は「どうして〝生きている〟個体同士ででの弱肉強食はないのか」というものと受け止めるべきです。なぜなら「弱いものを助けるのは不合理ではないのか」という疑問を質問者は呈しているからです。

 

「弱いもの」に「死者」は含まれません。なぜなら、人間でも「死者」を助けることは不可能だし、すでに生きていくための行動を必要としない死者にとって、強弱はないからです。「全肉全食」という理そのものは正しいのでしょうが、質問の趣旨からは外れたものなので「なぜ弱肉強食は行われないのか」という疑問に対する回答になり得ていません。従って無効です。

【無勝負】

これまでは、反論というよりも、回答者の論の不備を突いてみました。なので、こちらとしては、「自然界は適者生存ではなく弱肉強食である」ことを立証しなくてはならないのですが、どうやら出来そうにありません。(種レベルでの)弱肉強食の存在は具体例をあげることができませんし、そもそも「適者生存である」ということについては、僕は認めてしまいました。

 

もし前の章で僕が指摘した疑問に対する回答を得られたのであれば、僕は白旗を挙げざるを得ません。そして、回答者と直接のやりとりができない以上、この2点についての議論はここまでとなります。なので、ここからは、あらためて質問者の回答に答えてみたいと思います。

 

【なぜ人間の世界では弱肉強食は行われないのか】

回答の前に、まずは「そもそも本当に弱肉強食は行われていないのか」という前提の部分から考えてみなくてはなりません。これは「人間の世界では」という限定での質問になっていますので、その回答も自然と「種レベル」ではなく「個体レベル」での弱肉強食という話になります。

 

人間以外の種ですと、熊は縄張りと餌を確保するのに戦いますから、同種間での弱肉強食は有り得ます。では人間はどうかというと、生体としての弱肉強食はないかもしれませんが、社会的立場をかけた意味での弱肉強食はありそうに思えます。資本主義においての、企業間や同僚間との切磋琢磨がそれです。職種を変えれば可能性は出てくるかもしれませんが、それでもどうにもならなくて収入が得られないということがあるのは、生活保護という制度の活用者がいるのを見れば明らかです。

 

弱肉強食 人間

 

そして質問者の疑問はその部分です。つまり、どうして生活保護を含めたあらゆる方法で「弱者」を救う必要があるのか、ということです。これに対して回答者はこう答えています。「「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です」

 

例えば「障害」とされる個体の持つ遺伝子は、この社会においては「障害」ですが、ある特定の環境においては種の保存に適しているかもしれないということです。もっとも、それがどんな環境かは分かりません。ただ、地球規模の環境変化というのはあるわけで、それがどんな形で訪れるのかは予想もできないわけです。だから、あらゆる特性の遺伝子を温存しておくことが、種の保存にとっては有利である、ということです。

 

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これは尤もなのですが、だとすれば、「犯罪者」はどうなるのでしょう。殺人事件などにおいては、しばしば精神鑑定というものがあり、「異常」が認められると罪が軽くなったりします。しかし異常が認められない場合は、責任能力があったとして「死刑」になります。つまり、ひとつの「特性」を失うわけです。

 

そして精神医学も、現段階で完璧に成立しているとは言いきれません。本当は「異常」であるのに〝現段階での〟精神医学では異常を〝発見できなかった〟だけかもしれません。つまり「弱者」や「障害者」を多様な遺伝子の保存のために保護する、という発想であれば、「犯罪者」もまた保護しなくてはならないことになります。

 

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これについて言及できていないので、この論においても疑問を呈しておきたいと思います。「どうして弱肉強食は行われないのか」に対する僕の回答は、「そもそも行われているのではないか」としておきます。

 



【では、なぜ弱者を救済するのか】

これには、とりあえず3つの理由を示してみたいと思います。ひとつは、殺人や放置が違法だからです。例えば介護に時間を取られていた場合は仕事ができません。そのため、収入が得られません。だから仕事をする時間を増やすために、介護する相手を殺してしまおうとか放っておこうとかいうことにはなりません。社会的に、それをやったら罪とされます。社会の側がそれを「罪」とするなら、そういう負担を背負った人が罪人にならないようにするためには社会側が責任を持たなくてはいけません。言ってみれば「社会側の自己責任」です。

 

2つ目は、経済の活性化です。多くの人は金銭を得るために企業へ就職するわけですが、当然企業がないと就職もできません。なので一定数の企業の数が必要となってくるわけですが、会社を興すにはある程度のリスクを負わなくてはなりません。そして、もしリスクをカバーできない場合は借金を大量に背負ってしまったりなどして社会的に復帰できなくなってしまいます。

 

そうすると気持ちを削がれて会社を興したくても興せないという心境になりえます。そこで、もし失敗しても、最低限の保証(生活保護など)があれば、失敗した場合の負担を減らすことができるので、心理的に会社を興しやすくするようにサポートすることができます。もっとも、起業家はそんな心理ではなくて、もっと綿密な計算の上で動くとは思いますが・・・・・・。

 

3つ目は治安の維持です。単純な話ですが、収入がなくなって飢えと渇きで死にそうになったら、人は犯罪のひとつくらいはやってしまいかねません。なので、最低でも生存欲求を満たす援助をしていれば、飢餓による犯罪は抑えられます。僕の考える理由はこの3つですが、もしからしたら間違っていることもあるかもしれないですし、足りないこともあるかもしれません。

 



 

【緊張した】

弱肉強食 人間

 

さまざまなまとめサイトで紹介されている「ベストアンサー」への反論だったので、多少息が切れました。僕の言っていることも、もしかしたら――いや確実にどこかがおかしいのかもしれません。その時は、ぜひ頭の中で反論してみてください。思考のぶつけ合いも、ある意味で弱肉強食です。しかし、その目的は単に生き残るだけではなく、「弱肉」からも何かを学ぶことで、より「強食」へと繋げる、ということです。弱肉強食というのは、戦いです。人間の戦いは、互いを高め合うものでありたいと思います。