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護身術 最強 国井善弥 – 心眼に見る護身術

護身術 最強 国井善弥

2018/04/08 護身術 最強 国井善弥 – 心眼に見る護身術

言葉は全てを現さない

赤いハイヒールを履き、足はすらりとしていて、肌は白く、髪は涼しげに靡いている――。上手な文章とはいえないかもしれませんが、この文章からどんな美女を想像されたでしょうか。この文章は僕の知っている人を想像しながら書いたのですが、実は男性です。体と心で性が合っていないのか、その男性は夏になるとこんな恰好をしています。ちなみに、「髪は涼しげに」というくだりは、髪の薄い様子を表現してみました。

 

ここに書いた文章はひとつの例で、言葉から何かしらの勘違いをするということはよくあります。小説などでは「叙述トリック」と言って、あえて読者に勘違いをさせる技術があります。言葉というのはかくも不確実で、物事を表現しているようでいて実はさほど何も表していない場合というのがあります。

 

護身術 最強 国井善弥

 

仏教にも「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言って、もっとも大事な部分は言葉で伝えられるものではないとされています。今回は、こうした不確実な部分をどう扱うのか、ということから最強の護身術について考えてみたいと思います。今回の主人公は、鹿島神流の第十八代宗家にして今武蔵の異名を持つ国井善弥です。

 



 

心眼は科学

護身術 最強 国井善弥

 

国井善弥の師匠は、佐々木正之進という人だったそうです。武術家だからもちろん技などの稽古はあったと思いますが、そのもっとも変わっていることは、指示の仕方にありました。正之進は国井善弥に対して何か指示を出す時、「何を何して、何は何」といった具合に、まるで要領を得ない言い方をしていたのだそうです。これはどういう訳かというと、わざと言葉を曖昧にすることで、自分が何を指示しているのかを国井善弥に考えさせ、推察する能力をつけさせようとしたためだと言います。実際、国井善弥は、この特訓のおかげで、戦いにおいて相手の動きを大方読めるようになったと言っています。

これが「心眼」です。

 

心眼というと、何やら超能力のようなものを想像されがちですが、本当はそういうことではないそうです。八木秀次という工学者も、このような言葉を残しています。「一流の研究者ならば、心眼で電波が見えなければならない」つまり、見えていることから、見えていないことまでをも観察と推測を駆使して見定めろ、ということです。

 

護身術 最強 国井善弥

 

国井善弥が「今武蔵」と呼ばれていたのは、まさに負けたことがないからです。武器を持っても持たなくても必ずと言っていいほど勝つことが出来たのだそうです。あえて相手の土俵で戦っても勝つあたりは、まさに最強の名にふさわしいと言えるのではないでしょうか。そして、最強になり得たその理由は、心眼――つまり相手の挙動を高確率で先読みする力――に求めることが出来るのではないかと思います。これを護身術に応用できないでしょうか。

 

心眼を身に付ける

イラロジという遊びがあります。方眼紙のような細い升目と数字が書かれていて、数字からどの升目を塗るのかを推理して升目を塗りつぶしていくと、最後にはドット絵が完成する、というものです。雑誌などによく載っているので、見たことがある方は多いと思います。この遊びでは、どの升目が塗りつぶされるのか、という推理はもちろん、どの升目は塗りつぶされないか、という推理が大事になってきます。塗るべき升目が分からなくても、塗らない升目が分かれば、残った場所が塗るべき升目だということが分かります。つまり消去法です。

 

護身術 最強 国井善弥

 

実際の推理でも同じことが言えそうです。状況からありえることを推理するだけではなく、ありえないことを推理することで、ありうることを絞り込むということができます。「不可能を消去して、最後に残ったものがいかに奇妙なことであっても、それが真実となる」シャーロック・ホームズの作者として知られるアーサーコナン・ドイルもそのように言っています。では殺人事件などではなく、護身術を使う場面においてはどのような推理が必要になるでしょうか。

 



護身術における推理

護身術 最強 国井善弥

 

もし戦いを避けられない状況になったら、という前提で、推理を展開してみたいと思います。

 

・体勢から攻撃方法を推理する。

 

もし相手が足を片方前に出しているとすれば、その足で攻撃してくるということはないでしょう。前に出した足をあげたら体勢が崩れます。また、仮に前に出した足から蹴りが放たれたとしても、その蹴りはそう攻撃力のあるものではないはずです。なので、「前に出している足」は警戒から外してもいいかもしれません。

 

・もし相手が武器を持っていたら。

 

武器を持っている人間が、戦いにおいてそれを使わないはずがありません。言い換えれば、その武器によって攻撃してくることは分かっているわけですから、それを防げば勝機が見えてくるかもしれません。無理と思われるかもしれませんが、これについては、次の見出しで少し話してみたいと思います。

 

・体格から戦術を推理する。

 

もし体格が大きければ、力技でかかってくることが予想されます。柔道の使い手などは大きい人が多いですが、武人と呼ばれる人が無闇な暴力を振るうことはないと、少なくとも僕は信じているので、柔道を含めた武の道にある人が相手になることは、ここでは外してみたいと思います。力技に対しては急所を突く必要がありそうです。喉や目や股間など、狙いやすい急所をあらかじめ考えておく必要がありそうです。また、もし相手がさほどの体格でない場合は、打撃技を放ってくる可能性があります。これには距離を取るのが安全と言えるでしょう。

 

3つ、推理をしてみましたが、もちろんこれだけで護身術が成立するはずがありません。国井善弥が習得し、実践した最強の武器である心眼には、とてもではないですが及びません。なので、推理するのではなくて、こちらの思い通りに相手を誘導する方法を考えてみます。

相手を操る

護身術 最強 国井善弥

 

戦いとなったら、相手の弱点を突くのは当然です。ですから、こちらの弱点をひとつ相手に見せます。もちろん、その弱点は本物の弱点ではありません。偽物の弱点です。囮です。髪は弱点ですよね。掴まれたら自由が効きません。でも、変な例えですが、本物の髪ではなくて鬘を被っていれば、相手に鬘を掴ませて、取れて呆気に取られている一瞬を突くという手もあります。

 

推理するのは難しいですが、推理と誘導を併せることができれば、それなりに使えるものになりはしないでしょうか。もし出来れば、それが最強に繋がるのではないでしょうか。ところで、「相手が武器を持っている場合」についてさっき話しましたが、これは危機であると同時に、相手を操る絶好の機会とも言えるかもしれません。それについて少し話してみたいと思います。

 



李代桃僵

護身術 最強 国井善弥

 

国井善弥は、念流という剣術に触れていたことがあるといいます。この念流というのは激しい理念の流儀で、右手を斬られたら左手で、左手を斬られたら噛みついてでも相手を倒せ、という教えがあるそうです。右手から左手、左手から歯(噛む)という順番になっているのは、右手は利き手ということで最も使いやすいから、まずは右手を使い、その右手がやられたら、利き手ではないものの手であることには代わりない左手を使い、最後はもっとも使いにくい歯を使え、という考えのものではないかと僕は思いました。

 

歯はよほど相手と密着しない限り使えないので、右手と左手に絞って考えてみます。ちょっと話は飛びますが、仮に、ボーリングで3回戦戦うとします。チーム戦です。1チームは3人で、「うまい人」「普通の人」「下手な人」です。相手のチームも同じです。この場合、相手が「上手な人」「普通の人」「下手な人」の順番で選手を出してくるとしたら、こちらはどのように選手を出すべきでしょうか。正解は「下手な人」「上手な人」「普通の人」の順番で出す。この組み合わせを分かりやすいように書くと、こうなります。

 

(左が自分のチームで、右が相手のチームです)
下手な人 VS 上手な人
上手な人 VS 普通の人
普通の人 VS 下手な人

 

護身術 最強 国井善弥

 

最初の1戦は負けてしまいますが、残りの2戦ではこちらの有利になります。順番をずらして敵と当たることで(あえて1度負けを取ることで)、勝利を引き寄せるという戦術です。つまり、こちらの「下手な人」を犠牲にすることで、「普通の人」と「上手な人」で、より確実に勝利を取りに行く、ということです。これは36通りあると言われている兵法の内の第11番目に挙げられており、「李代桃僵(りたいとうきょう)」といいます。「李」を守るために、「代わり」に「桃」を犠牲にして「僵(たお)れさせる」という意味です。これを、さっきの「相手が武器を持っている場合」に当てはめて考えてみます。

肉を斬らせて骨を断つ

武器を包丁だとします。もし包丁で襲われたら、並の人間ではどうしようもありません。そこで「李代桃僵」の考え方を取り入れてみます。もっとも守らなくてはならないのは、胴体と頭部です。ここをやられると死にます。しかし、腕や足は斬られても死にません。なので、〝怪我を負うことを前提として〟利き手でない方の手や足で包丁を防ぎます。相手は振り切っていますから隙ができます。もちろん一瞬でしょう。この一瞬にかけます。空いている方の利き手で、渾身の一撃を相手に叩き込みます。

 

怪我をすることを前提としているので、生半可な覚悟では出来ないかもしれませんが、武術に精通していない素人が武器を持った暴漢に対抗するには、これくらいしか手がありません。致命傷には至らない程度の怪我を覚悟すること。それが最強の護身術においては必要になってくるかもしれません。

 

【武芸十八般】

護身術 最強 国井善弥

 

ところで、国井善弥は鹿島新流という武芸の、第18代目の宗家を継いでいます。この鹿島神流という流派では、初等教育において「体を整えること」を目標としているようです。そのために用いているのが武芸十八般です。武芸十八般というのは、文字通り18通りの武術のことです。武術というのは、そのひとつを習得するだけでも大変だというのに、それを18も身につけることが教育の中に位置づけられているわけです。しかも初等の。ここにも、国井善弥最強の秘密が隠れているように思います。

 

ブルース・リーがこんな言葉を残しています。「パンチとは目標を打つのではない。打ち抜くのだ」目標で止めようと思うと、(止めているわけですから)「打つ」瞬間には勢いが衰えてしまいます。ところが「打ち抜く」のであれば、目標に拳が達した時にはまだ勢いが残っています。結果、最大限の勢いで目標へ拳を叩き込むことができます。

 

武芸十八般が、目標ではなく、初等教育の「体を整える」という「目標」の過程に過ぎないのであれば、鹿島神流の使い手は、武芸十八般について「達する」どころか「突き抜けている」のかもしれません。だとしたら、本当に最強と言えるでしょう。

 



 

【柔と剛】

護身術 最強 国井善弥

 

さっきも話しましたが、国井善弥は念流という剣術に触れていた時期がありました。その時のことを振り返って、鹿島新流と念流は何が違うのかと問われたのに対し、同じだが、決定的な違いは、鹿島神流が武甕槌命を奉じているのに対し、念流は摩利支天を奉じていることだ、と答えているそうです。調べてみると、武甕槌命は雷や刀の神であるのに対し、摩利支天は月や太陽の光、あるいは陽炎なのだそうです。光や陽炎といったものは、実態がないので攻撃されることがありません。だから強いと思うかもしれませんが、実態がないということは攻撃もできないということです。

 

逆に刀は実態があるので攻撃の的になりえますが、それゆえに攻撃をすることもできるわけです。例えるなら武甕槌命が「剛」で、摩利支天が「柔」ということになるのでしょうか。よく柔よく剛を制す、と言いますが、逆に剛よく柔を断つ、などとも言います。これはどちらが強いと言って、言えるものではないと思われます。

 

ただ、国井善弥が、相手が誰でも、またどんな戦い方でも勝利を収めていたということは、それは剛と柔の両方に長けていたからなのではないかと思えます。

 

【国井善弥に学ぶ最強の護身術】

今回は、今武蔵と言われる国井善弥を通して最強の護身術ということについて考えてみたのですが、その最強たる理由はひとえに「相手の動きを読みきること」に尽きるのではないかという気がします。しかし素人にはそれができません。なので、推理する対象を絞ること、推理が難しい時は誘導することが必要と考えてみました。

 

護身術 最強 国井善弥

 

また、極めるというよりは「突き抜ける」という態度で武芸に臨むということ。それが国井善弥から学べる最強の護身術への道筋なのではないかと思いました。護身術の最大の目的は、身を護ることです。命を助けるために体の一部を犠牲にする覚悟を決めること。それが護身術においては必要になる場面もあるのではないかと思いました。「身」ではなく「命」を護ると考えると発想が飛躍して、最強と言えるものへ繋がるのかもしれません。