GOSHIN

護身術 最強 本多忠勝 – 大切な人のために

護身術 最強 本多忠勝

2018/04/09 護身術 最強 本多忠勝 – 大切な人のために

【鬼か人か】

蜻蛉が出ると蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり。蜻蛉というのは、蜻蛉切という名前の槍のことです。蜻蛉がその穂先に止まっただけで裂けてしまったという逸話から、その名前がつきました。そして、鬼か人か分からぬ兜というのは、鹿の角をあしらった兜のことを指します。蜻蛉切と呼ばれる名槍を携え、鬼のようにさえ見える鹿角脇立兜を被り、東国一の勇士と呼ばれた男。その名は――。本多忠勝

 

護身術 最強 本多忠勝

 

数多くの戦いに身を投じながらも、生涯傷を負ったことがないという伝説を持つ本多忠勝彼はその無双の力を、実に自分のためではなく、主君と身内のために使っていました。今回は、剛腕ながらも忠誠と身内思いな優しさ持つ本多忠勝から、最強の護身術について考えてみたいと思います。

 



 

【実はみんな寂しい】

自己満足という言葉があるくらいで、自分で自分を褒めることは簡単です。それに比べると、他人から褒められることは難しくなります。近頃は自分で自分を許すことや認めることの大事さが謳われて、自分で自分を認めることもできる方もいるかもしれませんが、頭でわかっていても、腹の底からそれができるとは限りません。

 

それが出来ているかどうかを試すための方法があります。それは、自分で自分を褒めただけの時と、他人から褒められただけの時を比較して、どちらが嬉しいかを較べてみる、という方法です。他人から褒められた方が嬉しいと感じる場合は、まだ自分で自分を褒めるということが出来てはいないのかもしれません。

 

護身術 最強 本多忠勝

 

さらに言えることは、「自分」と「他人」を比べたら、「他人」の方が圧倒的に大勢いるわけですので、量で言えば、他人から褒められる方が多くの喜びを得られるわけです。多くの人は「認められる」ことを求めています。そしてそれが得られないと寂しさを感じることになります。自分のためだけではなくて、誰か大切な人のために結果を出そうとした場合の方が、より頑張れるという感覚をご存知の方は多いと思います。それは「認められたい」という欲求を満たすことができるからなのかもしれません。

 

それを踏まえると、本多忠勝という人物がほとんど最強と言えるくらいに強かった理由も分かる気がします。本多忠勝が戦う理由は、もっぱら主君である家康を守るため、あるいは天下へ導くためにあったと思われます。

 

自分のためではなくて、大切な人のために、という心理が、時に人を最強と呼ばれるほどの強みに押し上げるのかもしれません。

【誰にも信じられなかったこと】

護身術 最強 本多忠勝

 

本多忠勝が、戦では滅法強いということはだんだんに知られていき、そのうちに豊臣秀吉からも「東国一の勇士」と讃えられるほどに至りました。ところが、槍の教練における本多忠勝の姿を見た人は一様に驚いたと言います。なぜというと、槍の使い方が下手だったからです。戦場において最強とも言える槍働きをしている本多忠勝は、教練における槍の動かし方がとても下手だったのだそうです。

 

しかしこれは、よく考えればそう意外な話でもないと思われます。実践では臨機応変に動かなければいけないのに対して、教練では決まった動きをやらなくてはいけないからです。本多忠勝最強とまで言われたのには、型ではなく、実践に向いた技量を持っていたからなのかもしれません。

 

ちなみに、ですが、以前こちらの記事にも書いた大山倍達も同じことを言われていたそうです。大山倍達の先輩たちは、彼に対し、こんなふうに評価しています。「組手や実戦は強いが形は下手」実際、大山倍達は実践向きの訓練を重視して、形の稽古はあまりやっていなかったと言います。

 



【決して油断しない】

護身術 最強 本多忠勝

 

信長の野望や戦国無双など、本多忠勝が登場する作品はいくつもあります。近年では大河ドラマ「真田丸」において、藤岡弘、が本多忠勝を演じていていました。そのどれもに共通していることは、数珠です。本多忠勝は、大きな数珠を肩にかけていたと伝えられています。どの作品に登場する本多忠勝も、姿に違いはあれど数珠をかけている様子は共通して描かれています。この数珠は単なる飾りではありません。長篠の合戦の後、本多忠勝はこう言ったと伝えられています。

 

「武田の惜しい武将たちを亡くした。これ以降は戦で血の騒ぐことはなくなるであろう」本多忠勝が肩にかけていた数珠には、戦場で自分が殺した相手を弔うという意味があったのだそうです。また、関ヶ原の戦いのあと、その戦いぶりを仲間に褒められた時にこう返事をしたという話が残っています。「自分が強かったのではない。相手が弱かったのだ」殺した相手を弔うという気持ち、それから相手が弱かった(自分は強くない)という評価、このどちらにも言えることは、本多忠勝は決して油断をしていなかった、ということではないでしょうか。

 

相手を憎んだり蔑んだりすると、憎しみは焦りに、蔑みは油断に繋がります。また、恐れは萎縮に繋がります。戦いにおいて、相手を恐れないという態度は必要です。だからと言って蔑んではいけません。気持ちの面でどこかに隙ができるからです。相手を恐れず、かつ慢心もしない、という気持ちが必要ということになります。その気持ちとはつまり「尊敬」ではないでしょうか。尊敬していれば、油断はしません。かといって恐れることもありません。そこには隙のない心があるに違いありません。そうした気の持ち方にも、本多忠勝最強だった理由が伺えるように思えます。

 

護身術 最強 本多忠勝

 

護身術においても同じことが言えるのではないでしょうか。相手を憎んでいれば先に手を出してしまい、法的に不利になることもありえます。時に、罠にはめられることもあるかもしれません。また、相手が小柄だからと蔑んでいれば、思わぬ技で倒されてしまうかもしれません。そして恐れていれば、勝てる相手にも勝てません。

 

対立する人間に対しても尊敬の念を持つこと――最強の護身術にとって、気持ちの面から言えばそのような心が必要なのかもしれないと思いました。

 

【二本多】

秀吉の軍師として有名な人物といえば、竹中半兵衛と黒田官兵衛の2人です。2人は名前に「兵衛」の文字が共通して入っていることから「二兵衛」などと呼ばれていました。一方、家康の家臣はどうでしょう。家康の家臣で「本多」といえば、やはり思いつく人物が2人います。それは、本多忠勝と本多正信です。同じ本多姓の武将で、どちらも家康の天下取りには欠かせない人物でした。しかしこの2人が「二兵衛」のように「二本多」などと呼ばれていたという話は聞きません。なぜでしょうか。

 

ひとつには、徳川家の家臣には本多姓の人間が実に13人ばかりもいたという事情が挙げられるかもしれません。本多だらけの徳川家だったわけです。もう1つは、本多忠勝が本多正信を毛嫌いしていたからなのかもしれません。本多忠勝いわく、「佐渡守(正信のこと)の腰抜け」「同じ本多一族でも、あやつとはまったくの無関係である」だそうです。

 

同じ本多一族でありながら、本多忠勝はどうして正信のことをここまで悪しざまに罵っているのでしょうか。そもそも、本多正信ってどんな人なんでしょうか。話が脱線しますが、少しだけ本多正信という人物にも触れてみたいと思います。

 



 

【智将・本多正信】

護身術 最強 本多忠勝

 

本多忠勝が家康の武の腹心とするなら、本多正信は智の腹心でした。そして嫌われ者でした。忠勝からの悪評はさっき書いた通りですが、別の徳川家臣からも「腸の腐った奴」などと大層な呼ばれ方をしています。しかし一方で松永久秀からは「器が大きい」と評されたり、また主君の家康からは「友」などと呼ばれていました。

 

こう見ると、正信に対する悪評というのは、智謀で働くことの出来ない同僚からのやっかみだったのではないかと見ることもできます。それを見切っていたからかどうなのか、本当のところはわかりませんが、正信の所領というのはずいぶん少なかったのだそうです。同僚からは嫌われているのに上司から気に入られている人間が、一気に給料を上げられたと知ったら、周囲がどんな反応をするのかは想像がつきますよね。正信は自らはもちろん、子に対しても「3万石以上の加増は受けてはならない」と教えています。それは周囲からのやっかみを受けないようにするためだったのでしょう。

 

また、こんな話があります。ある時、家康が近習を怒鳴りつけていたところ、そこへ正信が現れて事情を尋ねました。家康が説明すると正信はその通りだと言って納得し、家康以上に怒りを顕にして近習たちを罵ったのだそうです。正信は家康の腹心ですから、近習たちが萎縮したことは言うまでもありません。しかし、もっともびっくりしていたのは家康本人だったのだそうです。事情を知らずにひょっこりと現れた人間が、当事者である自分以上に怒り狂っているのだから、びっくりもするというものです。

 

おそらくですが、この時近習たちの気持ちは変わったのではないかと思います。つまり、「怒ると怖い家康さま」から「もっと怖い正信さま」といった感じです。もし正信が怒らなかったら、近習たちの家康に対する印象は悪くなってしまっていたかもしれません。つまり正信は、自分が嫌われ役を買って出ることで、家康の印象を落とさずに済ませようとしたのではないかと思います。また、正信自身も自分が反感を買わないように、怒ったあとにうまく収めています。それについては省きますが・・・・・・。

 

正信は、決して忠勝のように腕の立つ人間ではありませんでした。その分、人の心を読んで、うまく生き抜いてきました。正信の、この、やっかみを買わないようにする、という部分から、本多忠勝がどうして正信を罵っていたのかということについて考えてみたいと思います。

【もし仲が良かったら】

もし本多忠勝が正信を嫌っていなかったら――むしろ仲が良かったりなどしたら、どうなっていたでしょうか。正信を良く思わない風潮というのは、徳川家の中には実際にあったわけで、もしそれを無視して誰かひとりが正信を讃えてなどいたりしたら、そのひとりもほかの家臣から良く思われることはないでしょう。それが拡大すると、家臣団に分裂が生まれることも考えられます。そうなっては敵からは漬け込まれ放題です。

 

あまり讃えられる方法ではありませんが、これは言ってみれば「虐め」と同じ構造のような気がします。虐めというのは、標的が1人いれば、その1人を虐めるために、ほかの人間は団結します。そして自分が虐められないようにするために、こぞってその標的を攻撃するわけです。標的にされた方はたまったものではありませんが、もしこの構造を利用するなら、1人を犠牲にして集団を団結させることも可能になってきます。

 

僕の想像になりますが、正信はその標的を買って出ていたのではないかという気がします。そして、本多忠勝も馬鹿ではありません。もしかしたら、過剰とも言える正信の嫌われっぷりに、その真意を見出していたと考えることもできます。

 

本多忠勝も、もしかしたら腹の底では正信の智謀を買っていたのかもしれません。それでも、正信が自ら嫌われ役となって同僚の分裂を避けようとしていると察しているとしたら、あえてそれを邪魔せずに、自分も正信を罵って嫌っているふりをするのが、正信に対する思いやりなのではないでしょうか。だから本多忠勝は、正信を罵っていたのではないか、と考えるのはこじつけがましいでしょうか。敵である武田の武将たちの死を悼んだ本多忠勝なら、正信の智謀にも敬意を表するのも不思議ではないように思います。

 



 

【遺言】

護身術 最強 本多忠勝

 

「侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して侍という」

 

これは本多忠勝の遺言の中の1節です。つまり、結果は出さなくてもいいから、主君のために死んでも戦い抜け、ということです。でも、これに関しては異議ありです。確かに戦いの中に散っていく姿というのは美しく見えます。でも、もっとも避けるべきなのは自らの死、大切な人の死ではないでしょうか。

 

以前も記事にしました澤井健一の師匠であり、意拳の創始者である王向斎という人もそれについて指摘しています。日本人は失敗するとすぐに死にたがるが、それは愚かなことだ――と。

 

死ぬというのは最後の手段でさえありません。そもそも戦いにおいて「最後」などはないのです。最後を意識するということは、諦めるということです。もし最強の護身術を身につけようと思うなら、「最後」や「死ぬ」ということを意識してはいけません。

 

心臓を撃ち抜かれるとか脳を潰されるなどしない限り、どうすれば生き延びられるかを考え続けるべきです。いわんや自分だけではなく、大切な人であるはずの主君と共に「討死」を覚悟するなんて言語道断です。もし自分が死ぬとするなら、せめて大切な人の救助の役に立つ死に方を考えるべきです。誰かを生かさずして、何のための護身術でしょうか。

 

ただ、死んででも、という覚悟だけなら最強の護身術においては必要かもしれません。背水の陣という言葉もあるように、必死――必ずと言っていいくらい死ぬような状況――では人間は底知れない力を出すからです。死を感じるというのは、底力を出すための方法であって、決して死ぬことを想定することではないはずです。

 

護身術 最強 本多忠勝

 

どんなに惨めでも格好悪くても生きることを考えること、それを実行すること――それが護身術においては最強と言えるはずです。例えば相手に土下座をしながらお金を差し出す、なんてそれこそ死んでもやりたくないですが、それで生きられるならその方法を取るべきです。護身術は身を守るためのすべであり、その最強を目指すということは、生きるためなら手段を選ばないということだからです。

 

【忠勝に学ぶ最強の護身術】

今回は徳川家康を天下へ押し上げた名将の1人、本多忠勝から最強の護身術ということについて考えてみました。そこから学んだことは、形よりも実践に向けた戦い方を身につけること、例え敵でも敬意を表することで心理的な隙を作らないこと、正信との関係のように、自分だけではなく仲間と連携を持つように組織の一員として動くこと、また(これに限っては反面教師ということになってしまいますが)、戦いにおいて死を想定しないこと、これらが最強の護身術に繋がるのではないかと思いました。

 

確かに本多忠勝最強の戦士と言えるかもしれません。しかし、単に強かっただけではありません。家康を守るために命懸けでしんがりを務めたり、親戚関係となった真田昌幸親子のために、主君である家康に、まさに命懸けの談判をしたり、誰かのためになら自らの命を投げ出しても顧みない優しさを持った人物でした。

 

はじめにも話した通り、多くの人は、誰かから認めてもらうことで普段よりも大きな力を出すことができます。本多忠勝はいつも主君や身内のためになることを考えて行動していました。その気持ちが、本多忠勝を最強と言えるほどの豪傑に導いたのかもしれません。

 

護身術においても、自分だけよりも、誰かのためと思えることができれば、最強の力を発揮することができるかもしれません。