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護身術 最強 宮本武蔵 – 勝利という言葉に惑わされない

護身術 最強 宮本武蔵

2018/04/13 護身術 最強 宮本武蔵 – 勝利という言葉に惑わされない

【無敗の男】

護身術 最強 宮本武蔵

 

13歳から29歳までの間に60回以上も決闘を行い、負けたことのない男がいました。宮本武蔵です。日本では知らない人はいないだろうというくらいに、その名は知れ渡っています。日本だけではなく、彼の残した兵法書「五輪書」は、外国語に翻訳されて、海外にまでその名が轟いています。生涯無敗を貫いた希代の剣豪、宮本武蔵。今回はそんな彼から、最強の護身術について考えてみたいと思います。

 



【五輪書から学ぶ剣豪の知恵】

ポーカーは心理戦です。自分の役がたとえ豚でも、ブラフを用いて相手を降参させてしまえばこっちの勝ちです。問題は、このブラフです。ポーカーにおけるブラフは掛け金を増やしていくことがその方法のひとつです。掛け金を増やしていくと、相手はこう思います。「こんなに大金をかけるということは、よほど強い役を作っているに違いない」そして損失を恐れて降参してしまいます。

 

ここで大事なのは、この戦いにおいて、相手は自ら負けを選んでいるということです。こっちは、負けを選んだ方が得だと思わせる素振り(掛け金の追加)をしているだけだということです。もし素振りではなく、直接的に、「こっちはすごい役を揃えている。降参しないと大損するぞ」などと言ったらどうでしょうか。もしかしたらブラフであることを見抜かれてしまうかもしれません。つまり何が言いたいのかというと、人は「自分で気づいた結論は信じやすい」ということです。「人から教えられる」のではなく「自分で気づく」こと。人がもっとも納得するのはそういう形です。このことが、実は五輪書にも書かれています。

 

護身術 最強 宮本武蔵

 

『この書物(五輪書)を手に取るにあたっては、読むのではなく、習うのでもなく、真似するのでもなく、気づくことを目的にしてほしい』宮本武蔵はそう言っています。もちろん基本的な考え方は五輪書の中でいろいろと説明されていますが、それは宮本武蔵の価値観であって、読者の価値観ではありません。また、価値観と言えば少し抽象的ですが、宮本武蔵と読者とでは経験も体格も癖も、時には性別だって違うかもしれません。そう何もかも違う人間同士で分かり合えることは、そんなにはないでしょう。だから宮本武蔵は、鵜呑みにするのではなくて、自ら気づくことを勧めているのではないでしょうか。

 

もし最強の護身術というものがあるとすれば、いや、あったとしても、宮本武蔵のように考えるなら、それを丸ごと身につけるのではなくて(それができればそれに越したことはないと思いますが)、その動作や構えがなぜ有効なのかに自分で気づいてものにしていく必要があるのではないかと思います。形を真似するだけではなくて、その形の意味を理解すれば、自在に応用を効かせることができるかもしれません。それを極めていくことが最強に繋がるのではないかと思います。

 



 

【目的は何か】

宮本武蔵

 

負けること、あるいは死ぬことを覚悟して真っ向から戦いを挑み、実際に負けたり死んだりする――という姿はとても雄々しくて格好いいですよね。こういう姿からは、の生きた時代でいえば武士を連想するのではないでしょうか。

 

しかし、堂々と戦いを挑んで死ぬということは、武士でなくてもできます。百姓でも僧侶でも可能です。では武士とは何でしょう。この問いも五輪書の中に見ることができます。宮本武蔵は、自らこの問いを発して自らこのように答えています。『潔く死ぬことは誰でもできる。では武士にしかできないことは何か。それは勝つことだ。勝つことが武士の仕事なのだ』そして宮本武蔵は、実践でも勝利に拘り、いろんな方法をもって勝利をもぎ取っています。

 

この「勝つ」という言葉に少し注目してみます。以前、こんなことを言っている人がいました。「俺はディベートで負けたことがない」こう聞くと、よほど頭の回転が早くて口がうまいのだろうと想像するかと思います。しかし、ぜんぜん違います。彼がディベートで負けたことがない理由は、そもそもディベートなどやったことがないからだったわけです。もちろんこれは冗談としての発言です。

 

しかし「不敗」という言葉にはかなりの威力があります。そう聞かされるとたじろいでしまいがちですが、「不敗」は「全勝」とは違います。「全勝」には必ず戦いが必要ですが、「不敗」には必ずしも戦いは必要ではありません。もし不敗という言葉を聞いたら、勝利の回数について追求してみるといいでしょう。相手がただ詭弁を弄しているなら、すぐにぼろが出ます。

 

こう考えてみると、護身術としては「全勝」よりも「不敗」を狙うのが趣旨に添うと思われます。護身術はあくまでも「身」を「護」る「術(すべ)」なので、必ずしも勝つ必要はありません。戦いに至ったとしても、「勝つ」ことよりは「負けない(怪我をしない)」ことが最優先になってくるからです。

 

最強というのは最も強いという意味ですが、身を護るだけなら最も強い必要はありません。本来の目的のために必要な最低限の準備があれば足ります。その点、宮本武蔵は不敗であると同時に全勝も狙っていたのではないかと思います。彼の場合は立身出世も目的にあったので、「不敗」にとどまるだけでは足りませんでした。「勝利」をもぎ取りに行く執念が、五輪書からも実際の行動からも見て取れます。

 

【戦いに勝つための方法】

実際に戦いに至ってしまったら、それを受けずに逃げることが不可能な場合があります。とくに大人数が相手の場合は退路を絶たれる可能性が大いにあります。こんな場合のことも、宮本武蔵は五輪書の中で解説しています。『相手が大勢いる場合は、動き回って相手が縦一列になるようにすること』それが宮本武蔵の教えです。縦一列というのはどういうことかというと、ラーメン屋で順番待ちをしている客の行列のようなものです。ラーメン屋の出入口はひとつしかないですから、どんなに大挙しても、1度に入口を通れるのは2人か3人といったところではないでしょうか。

 

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つまり、相手が大勢な場合は、縦に並べてしまえば、いくら相手の人数が多くても、いっぺんに相手をするのは実質2人か3人で済む、ということです。これが縦一列の意味です。とはいっても、そう上手く立ち回ることなんてできないと思います。だからそんな時は、環境を使います。どういうことかといえば、ラーメン屋の説明でも話した通り、物理的に相手が横に回ってこられないような位置を取るということです。狭い橋の上とか、部屋の出入口のような場所です。そうすれば大人数を相手にしても、少しの間は持つのではないでしょうか。その間にどうやって逃げるのかを考えます。

【試合で緊張しないために】

護身術 最強 宮本武蔵

常在戦場という言葉があります。文字通りなら、常に戦いの場にいる心持ちでいること、という意味になるでしょうか。戦闘の必要がない時でも、戦闘に備えて準備を怠らないという心がけのことだと思います。これは正しい気持ちのあり方だと思います。ただ、僕はもうひとつ意味があるように思えます。普通の人が戦いに挑む時は、だいたい緊張します。なぜなら、戦いというのは日常にはあまりない場面だからです。「よし勝つぞ」などと意気込んでいるかもしれません。しかし常在戦場の気持ちで普段を過ごしている人にとっては違います。戦いという場面に臨んでも「ああ、いつも通りか」と余裕の心でいられるのではないでしょうか。

 

戦いに臨むにあたって緊張をする人と、普段通りでいいのだと余裕でいられる人の間には、明らかに差があります。もちろん実力が足りない可能性もないではないですが、少なくとも精神的には有利なはずです。戦いにおいても平常心を持つことができるようにする、という目的が「常在戦場」という言葉にはあるのではないかという気がします。これも宮本武蔵が五輪書の中で言っています。『普段から本番のように、本番は普段のように』また、これは心の持ち方だけではなく、具体的に剣術においても実践されているように思えます。どんな部分に対してそう思うのかといえば、まさしく宮本武蔵が「二刀流」を作りあげた理由です。

 



【なぜ二刀流なのか】

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僕に剣道を教えてくれた先生は、まず竹刀の握り方を教えてくれました。竹刀を握る指の力の加減や、構えている時の肘の状態まで結構細かく指導してもらったことを覚えています。剣道にもいろんな流派がありますが、共通していることは、両手で竹刀を握るということです。当たり前だと思うかもしれませんが、実は武士にとってはこれが拙いところです。大河ドラマなんかでは、よく合戦の場面が見られますが、武将は馬に乗って戦っていることが多いですよね。

 

そして馬に乗って戦うということは、刀は片手で扱わなければならないということです。馬の轡を握らなくてはいけないからです。また正面には馬の首があるので、両手で刀を持つことは、轡のことを差し引いてもやはり不便と言えます。そこで宮本武蔵は二刀流を考えました。二刀流では、言うまでもなく、刀を2本使います。つまり、稽古でも試合でも、刀を片手で扱うことになるわけです。これは馬に乗って戦う人間として見れば、とても実践的と言えます。つまり二刀流というのは、2本の刀で戦う流儀なのではなくて、2本の刀を持つことで、片手で刀を扱うのに慣れるための「訓練方法」として編み出されたものと言えます。

 

さっきの常在戦場のくだりでも書いたように、常に実践に近い形で練習していれば、練習と実践で差のある練習をしていた人よりは圧倒的に有利なるでしょう。護身術でいえばどうでしょうか。護身術を用いる場面は、実践の場がほとんどのはずです。そして護身術を実践する場面においては決まりがありません。人数も武器も場所も、襲ってくる側の都合で決まります。その時、こっちが怪我をしていない可能性は捨てきれません。むしろ怪我をしていれば相手は喜んで襲ってくるでしょう。

 

もし護身術において最強を目指すなら、練習の中ではあえて片腕を使わないとか、スキー靴のようなものを履いて普段通りの動きができない状態などを課した上で訓練をすることで、怪我をしている時に襲撃を受けた場合にも対処ができるようになるかもしれません。

 

【固定観念に囚われない】

護身術 最強 宮本武蔵

 

武蔵は剣豪でありながら、実に剣術だけに拘っていたわけではありません。これも五輪書に見ることができます。

『刀がなくては勝てない、刀があれば勝てる、というのは思い込みで、勝つ方法は他にもある』宮本武蔵はそのように言っています。「自分には○○がある」というのは自信に繋がるしそれ自体が悪いということは決してありません。ただ、○○があるから大丈夫だ、という思いは慢心や油断に繋がる可能性は大いにあります。幼い女の子が、筋骨隆々の大男に勝つことだってできるわけです。リバーシでなら・・・・・・。

 

この例で言えば、大男は自分の肉体に自信を持ちつつ、かつ油断していたということになります。「勝つ」という言葉を肉弾戦にのみ見出していたこと、つまり思い込みに囚われていたことで、まんまとリバーシにおいて、年端も行かない女の子に負けてしまったということです。

 

勝つ方法はひとつではないということ、また、そもそも「勝つ」という言葉に意味もひとつではないということを念頭に置いていおくといいかもしれません。護身術を実践せざるを得ない場合になってしまったら、はじめに、何をもって勝ちとするのかを明確にしておくことが大切だと思います。そうしないと徒に戦いを大きくし、想定していなかった怪我を負ったり法的な処置を受けたりということにもなりかねません。護身術の目的は自分の安全が保つことのはずです。それならば、まずは安全を確保し、かつ、可能なら(最強とまでは思われなくとも)相手に畏怖を与えれば上々ではないかと思います。

 



 

【宮本武蔵から考える最強の護身術】

おもに五輪書から引用して考えてきました。まとめるとこのようになるのではないでしょうか。

 

・技を身につける時などには、教わるだけではなくて自ら気づくこと。
・必ず勝つこと。
・勝つという言葉の意味を場面に応じて明確にしておくこと。
・勝つためには手段を選ばないこと。
・そのために思い込みを捨てること。
・練習においても実践を意識しておくこと。

 

護身術 最強 宮本武蔵

 

宮本武蔵の武勇伝については、創作の疑いのあるものも含めればいくら書いても間に合いません。船島の決闘においてわざと遅刻したという話はあまりにも有名です。しかし決闘というのは、お互いに納得した上で行うものです。一方、護身術を使う場面というのは、相手が一方的に決めてしまいます。この点において大きく違うので、あえて決闘などの話は挙げませんでした。

 

それでも、心理戦を制するための技術や方法というのは、探ってみれば、決闘の場面などからもまだまだ見つかるかもしれません。古今無双の剣豪と呼び声の高い宮本武蔵から学べることは、掘り下げ甲斐があります。それでも現時点で僕が挙げられるのはこのくらいです。宮本武蔵に関する逸話や資料はいくらでもあります。それらを研究して独自に最強の護身術への道を見つけてみてほしいと思います。