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喧嘩 最強 花形敬 – 白い悪魔

喧嘩 最強 花形敬

2018/04/13 喧嘩 最強 花形敬 – 白い悪魔

【素手喧嘩の王】

喧嘩 最強 花形敬

 

7つの前科と22回の逮捕歴を持ち、白い背広を着て、拳銃でさえ殺せない男がいました。その男の名前は花形敬素手での喧嘩、いわゆる「素手喧嘩(すてごろ)」を信条としていたその男は、存命中は、まさに最強と言えるくらいの強さを誇っていました。そんな花形敬について、今回は書いてみたいと思います。

 

ところで、花形敬というのはどんな人物なのでしょうか。まずは花形敬という人物について、その少し説明しておきたいと思います。花形敬は、昭和5年から38年にかけてを生き抜いたやくざで、喧嘩師です。その強さは伝説的で、多くの映画や小説や漫画に登場するほどに名前が轟いています。強さだけではなく、33年という短い生涯も、花形敬という人物を象徴づけているような気がします。単なる語り草ではなく、作品に登場するまでに名前を知られた花形敬には、いくつもの逸話があります。それを紹介していきたいと思います。

 



 

【花形敬伝説】

 

・殺人パンチ

 

喧嘩 最強 花形敬

 

ある日、花形敬はボクサーを相手にリング上で1戦交えたのだそうです。そこで花形敬は拳1発でボクサーをのしてしまったといいます。これだけでもその強さが伝わってきますが、この話は、花形敬がまだ中学生時代の話です。中学生といえば、成長期でありながら、それでもまだ成長しきれていない時期です。この時点でプロの格闘家を一撃で負かしてしまったのですから、成長したらまだ強くなることが伺えます。

 

ちなみに、この時、負けてしまったボクサーは、花形敬に対して、きみのパンチは強すぎて、喰らった人間が死んでしまうから平手打ちにした方がいいだろうと言っているそうです。それ以来、花形敬のパンチは殺人パンチと呼ばれるようになりました。
これ以前にも、花形敬は多くの子供たちを連れ回して喧嘩をして回っていたと言いますが、相手もせいぜい不良程度です。格闘を専門にしている人に勝ったのは、このボクサーとの戦いが初めてではないでしょうか。そう考えると、ボクサーからパンチをやめるように言われた段階が、花形敬最強伝説の始まりだったのではないかと思われます。

 

ちなみに、ボクサーからパンチをやめるように言われた花形敬ですが、その言葉に従うことはありませんでした。これ以降も、花形敬は幾度にも渡る喧嘩の中で、この殺人パンチを繰り出すことになります。ところで、このボクサーを相手に1本取ったという話はかなり有名で、もしかしたらあらためて書くほどのことではなかったかもしれません。なぜ有名なのかといえば、相手が強かったからなのではないでしょうか。

 

喧嘩 最強 花形敬

 

当然ですが、弱い相手を負かしても有名にはなりません。有名になったとしても、悪名として名前が広がるだけです。何の得もありません。金品を巻き上げたり一方的な性欲を満たす場合を別にして、弱いと分かっている相手に対して、わざわざ喧嘩を売るような真似はしないでしょう。それは喧嘩の強さを売りにしている人なら尚更です。

 

これと同じことが、相手にも言えたのではないでしょうか。ボクシングは喧嘩とは違いますが、拳を交えるという点では同じです。仮にもボクサーという、いわば戦いのプロが、中学生を相手に本気で戦ったとは思えません。花形敬はかなり体格の大きな人だったと聞きますが、それでもボクサーの拳は凶器ですから、ボクサーとしては本気になるわけにもいかず、また滅多に油断もできないという妙な匙加減を強いられていたのではないかと思います。

 

そこを突かれたとしたら、ボクサーとしても辛いものがあったのではないかと思えます。花形敬の拳は確かに強かったと思います。それでも、もしボクサーが本領を発揮できていたら、その拳を喰らう前に、花形敬を倒すことも可能だったのではないかという気がします。もっとも、ボクシングはパンチだけではなくガードもある競技なので、その隙を突いて1本取った花形敬はさすがだと思います。

 

・弾を受けて死なず

 

喧嘩 最強 花形敬

 

花形敬が、やくざや喧嘩師として活躍していたころのことです。夜中に酔いながら街を歩いていたら、拳銃を持った男に襲われたそうです。しかし花形敬は怯みませんでした。「なんだそれは」と訊いたそうです。この銃を持った男は誰かというと、森田雅という人物の舎弟でした。なんでその舎弟が銃をもって花形敬を襲ったのかというと、この夜、花形敬が森田雅を殴ったからです。つまり、舎弟は森田の復讐に来たわけです。

 

しかし花形敬は、酔うと人柄が一変することで有名でした。自分が殴ったことが原因で襲われつつあるというのに、自分の非を認めるどころか声を荒らげて、「喋るか撃つかどっちかにしろ」と怒鳴りつけたのだそうです。この時、例の殺人パンチが炸裂しました。その、ほとんど最強と言ってもいいくらいの拳を受けた舎弟は吹き飛び、同時に発砲しました。しかし当たりませんでした。その様子を見た花形敬はさらに脅しあげます。「この俺を撃てるのか」舎弟はさらに発砲。これは花形敬の指を貫きました。

 

一応当たったわけですが、指ですから痛みはあっても死にはしません。顔に無数の傷を負っていたという花形敬にとっては、この程度の痛みは痛みではなかったでしょう。「しっかり狙わないと命がないぞ」さらに脅しあげる花形敬に、舎弟はさらに発砲。今度は身体に命中しましたが、花形敬は倒れませんでした。さらにずんずんと舎弟に向かって近づいて行きます。銃で撃たれて倒れず、なお迫ってくるというのは正気の沙汰ではありません。舎弟はそんな花形敬に恐れをなして、ついに逃げました。

 

それから花形敬は自分で病院へ行って治療を受けたあと、病院を出て例の舎弟を探し回ったといいます。この話も有名です。複数のサイトで話題にされている話です。確かにこの話を聞けば、花形敬は最強だとびっくりします。ただ、単に凄いで済ますのはもったいないので、この話を少しだけ掘り下げてみたいと思います。

 

喧嘩の原因として、売り言葉に買い言葉というのがあります。ついつい喧嘩を買ってしまい、引くに引けなくなってしまうという場合があります。ここで意地を張らずに引くことができればいいですが、そうでない場合は花形敬を見習うことが前哨戦で勝つ秘訣になるのではないかと思います。つまり、はったりです。拳銃を向けられたら、どうしようもないです。逃げたら背中を撃たれるし立ち向かえば胸を撃たれます。どうしてもいけません。だからはったりです。花形敬は「なんだそれは」「撃てると思っているのか」「しっかり狙え」などと言って、まったく銃を恐れる様子を見せません。銃を持っている側からすれば意外な反応だと思います。

 

喧嘩 最強 花形敬

 

武器を出されたら、(もし引かないのであれば)そんなもので自分を殺せると思うのか、と逆に強気に出て、どんどん近づいていけば、相手を脅しあげることができるかもしれません。さらに距離が縮んでいるので、こっちから拳を叩き込むことも可能になってきます。もしかしたら、相手の武器を奪う機会もできるかもしれません。武器に対しては怖気ずに向かっていく、という度胸と態度が、喧嘩の上では必要なのかもしれません。

 

さっきも書きましたが、花形敬は顔に無数の傷を負っていたと言います。おそらく多くの喧嘩の中で付けられたものだと思います。もしかしたら痛みへの慣れがあったのではないかと思います。さらに言うと、この時の花形敬は酔っていました。それも強気に出られた理由だったのではないでしょうか。

 

喧嘩師ややくざではない普通の人の話ですが、酔ってボーリングを2本やって帰宅後、眠って起きたら骨折していたという話を聞いたことがあります。それから、こんな話もあります。なんとなく顔面に痛みを感じたけれども、気にせずに帰宅して鏡を見たら、顔が倍ほども腫れ上がって血だらけになっていたそうです。つまり酔っていると、人間は痛みに対して鈍感になるということです。

 

もしどうしても避けられない喧嘩に臨む場合は、あらかじめ酔ってしまうという手があります。後でどうなるかは知りませんが、痛みを感じないので、負けたとしてもぼろぼろになって立ち向かうことができるかもしれません。その姿は悲愴というよりは狂気として相手の目には映り、それが人伝で広がり、いつの間にか最強と言われるようになっているかもしれません。

 

実は花形敬に殴られた森田も、酔った時の花形敬は怖い、ということを知っていて、恐れていたので殴られても我慢していたと言います。あいつは最強だ、という予備知識は喧嘩になる前から相手を怯ませる効果があるみたいです。1回の壮絶な喧嘩をすれば、あとはいらない喧嘩を売られることはなくなるかもしれません。

 

100回の喧嘩より、1つの伝説です。

 

喧嘩 最強 花形敬

 



【ダッフィVSシャルル】

ところで「喧嘩」ってそもそもなんでしょうか。「決闘」や「試合」とは何が違うのでしょうか。決まりがあるか、ないかというところがもっとも違う部分だとは思いますが、文字の意味を調べてみたら「喧」も「嘩」も「やかましい」という意味があるんだそうです。

 

喧嘩 最強 花形敬

 

火事と喧嘩は江戸の華と言いますが、江戸時代から明治くらいにかけては、喧嘩というのはひとつのコミュニケーションの形だったと言います。「暇だから、ちょっくら喧嘩でもしてくらァ」というくらいの気軽なものだったのだとか。ずいぶんと物騒なコミュニケーションもあったものだと思いますが、さっきも書いたように、「喧」も「嘩」も「やかましい」という意味の文字です。実際、江戸時代より前までは、「うるさい」という意味で「喧嘩」という言葉が使われていたそうです。「うるさい」と呼ばれる状態を戦う2人だけでは作ることは、(不可能ではないですが)難しいです。まわりにたくさんの人がいればより簡単です。

 

そしてたくさんの人がいるということは、卑怯なことができないということです。もし卑怯なことをすれば、見物人がいっせいに敵にまわってしまうことだって考えられるわけです。天空の城ラピュタという映画に、そんな例が見られます。鉱山で働く技術者集団の親方であるダッフィと、空賊のひとりであるシャルルの喧嘩がそれです。まわりにはたくさん人がいて、はじめはただ囃しているだけですが、シャルルが空賊ということで、見物人たちはいっせいにシャルルを攻撃し始めます。

 

だから喧嘩というのは、正々堂々とした精神の持ち主と、民衆の心を掴む人柄を持っていなくてはうまくできない戦い方と言えます。いろんな競技がありますが、喧嘩は自分と相手だけではなくて、まわりの様子も見る必要があるものといえます。つまり喧嘩を制する人間こそ最強と言えるのかもしれません。

 



 

【花形敬の最期】

喧嘩 最強 花形敬

 

数々の伝説と戦歴を残してきた花形敬ですが、その強さは最強にして、それは個人の強さでした。武道の師範代や同じ組の幹部からは「喧嘩は強いが、軍曹並だ」と評されています。その最期は刺殺でした。昭和38年、路上で待ち伏せしていた刺客に襲われて身体を刺され、33年の生涯を閉じます。拳銃さえ退けた花形敬としては、あまりにも呆気ない最期です。

 

そして遺族は、「報復はしないでくれ」と言い残しています。人格を否定されがちなところはあったようですが、それは裏返しに言えば、個人の強さに絶対の自信を持っていたということではないでしょうか。人にいい顔をして多くの味方を作るというのも強さのひとつではあるし、そうすれば、そもそも喧嘩になどならなくてすみます。

 

花形敬喧嘩師として有名でしたが、単なる喧嘩師ではありませんでした。武器はいっさい使わず、必ず素手のみで戦うというもので、それを「素手喧嘩(すてごろ)」と呼ばれていました。そこには武器はおろか味方さえもいらない、という自分の拳に対する自信が見られるように感じます。花形敬は、まさに最強の喧嘩師だったのかもしれません。