
1991年10月28日茨城県生まれ。
幼少の頃よりブルース・リーなどのアクション映画に影響され、「強さ」に憧れる。佐山聡氏が創始した掣圏道新陰流など、様々な格闘技や武術を研究し日本に最先端の格闘術を広めている。
はじめまして。GOSHIN(護身)コンサルタントの初澤竜多と申します。
現在自分の弱さに悩むお客様の強さ作りを出張サービスを通して全力でサポートさせていただいております。
「自信を守るのが難しい… 自分はこのまま負け犬かもしれない…」
と強く悩まれているのなら、私はあなたのお役に立てると思います。
このページでは自分の弱さについてお悩みの方へのGOSHINのご案内と、私という人間についてのご紹介をさせていただければと思います。
「会話が続かない」「何を話していいかわからない」「会話のテンポについていけない」「嫌われるのが嫌で思ったことを言えず人の輪に飛び込めない」
これらのことをウジウジと悩んだ根暗経験がございます。
弱さについて 考えて、強さについて 考えて、考えて、考えて、考えて、考えておりました。
「弱い人を強くする方法は無いのか?」「弱い人が暴漢を撃退するにはどのような手段があるだろうか?」
ひ弱な状況から這い上がるために大事なこと、私自身がGOSHINを通して這い上がったことでわかったことがあります。
それは”弱い人は強さを得る実体験がほとんどないこと”
私、初澤がそうであったように、弱い人は強さを得る実体験がない。だから自信がないのです。
説明します。
弱い人の共通点は強さを得る実体験がゼロに近いこと。
つまり、強さを得る実体験さえ積み重ねれば、それだけで強くなれます。
弱さで自信を持てない状態とは、最初から強さを得る実体験が大きく制限されているということなのです。
大変もったいないことだと思います。
自分に自信が持てないのは非力だからでも人見知りだからでもありません。
強さを得る実体験がないことこそが問題なのです。
私自身、GOSINを体得するまで気がつきませんでした。
技術だけじゃない。このような気づきを体得し豊かな精神性を築いていくこと。
その為の手段がGOSHNであることを私は伝え続けていきます。
GOSHINの体得であなたがどう変わるのか?
GOSHINの体得で周囲を気にせず、買い物をしているあなたを手に入れることができます。
GOSHINの体得は、環境を気にせず、食事をしているあなたを手に入れることができます。
GOSHINの体得は、治安を気にせず、旅行をしているあなたを手に入れることができます。
GOSHINの体得は、暴漢を気にせず、生活しているあなたを手に入れることができます。
イメージできましたか?ここは、まだインターネット。
入り口がGOSHINで、リアルな世界に私、初澤がご案内いたします。私とあなたで繋がる世界。
さよなら彼ら、彼女ら、あいつら。さよなら上司、先輩、街のやから。
いつでも、かかってこい。変質者、犯罪者、イカレたやつら。「やるか、逃げるか、守るか」
GOSHINを体得したらあなただけのリアルが待っていることでしょう。
最期まで自分について来れるのは、自分だけだから。
私は、あなたに寄り添いながら、ストーリーを発展させていきます。
とても貧弱かつ内気で大人しく、モヤシのような子供でした。
じっと立っているだけのような子供。
運動会のかけっこで『位置についてよーい!ドン』
走らずに、ずっと立っているような子供でした。
私が5歳、約20年前 、自宅の近所に小さなレンタルビデオ店がありました。
ある日、両親にこのレンタルビデオ店に連れて行ってもらいました。
その時、私の目に興味を注いだのは、アメリカのスプラッター映画でした。
ビデオデッキにレンタルしたビデオを挿入しスイッチを入れると・・・
ホッケーマスクの大男や爪鉤グローブの男など現実世界では見たこと無い異様な者が、人々を襲う光景が映っていました。
無差別に人を襲う光景は非常にスリルを感じました。
それからというのも、スプラッター映画に魅了され、保育園の休みの日は、歩いてレンタルビデオ屋さんに行きました。当時はR15 指定のレイティング映画でも年齢確認される事が有りませんでした。
異常な少年犯罪とかがあったので周囲の大人から冗談半分で『事件とか起こさないでよね~』ともよく言われました。
スプラッター映画との出会いが、現在のアイディアや発想を生む原点となっていると思います。
小学校に入り、第二のターニングポイントが訪れます。
それはアクション映画との出会いです。
ターミネーター2という映画を友達に紹介されて見ました。
ホラー映画ばかりを見ていた私に新たな衝撃と新たな価値観を与えました。
当時の影響は凄まじく、小学校の通学用のヘルメットにマジックでアーノルドシュワルツェネッガーと記入するくらいでした。
また近くのプラモデル屋さんで購入した電動エアガンを持ち、黒フレームのサングラスをかけ自転車にまたがり、近所にある図書館やフィリピンパブを銃撃したこともあります。
当時の私は、ターミネーターに影響を受け過ぎていたので気分は完全にT850型サイボーグでした。
シュワルツェネッガーに影響を受けていた僕を見て、レンタルビデオ店の店員さんがシルヴェスター・スタローン出演のランボーという映画を紹介してくれました。
スタローンやシュワルツェネッガーは、ムキムキの体で相手をなぎ倒していくので必然的に肉体美への憧れも強くなっていきました。
まさにココが私の筋トレの原点です。後々、体を鍛える原動力と繋がってきます。
そんな私に、更なる影響を与える人物が現れます。
その人物は今は無きブルースリーです。
当時上映していた木曜洋画劇場で、たまたま上映していた『燃えよドラゴン』を見て圧倒されました。
強さへの憧れがMAXレベルに強くなりました。
見かねた母親が更にジャッキーチェンを紹介してくれました。バットマンにもどハマりしました。僕の人生は、映画が原点であり映画ありきの人生です。
将来の夢は、ホラー映画よく使われる特殊メイクのアーティストになることでした。
経験者のアドバイスで粘土彫刻やデッサンを学ぶ決意をしました。
美術に力を入れた高校に通う事にしたのです。
近所の美術スクールにも通うことになりました。
しかし、ある時、高校卒業後に通う特殊メイクの専門学校をインターネットで調べていたら通信制高校に通いながら、専門学校に通う両立制度が制定されたことを知りました。
もともと美術に強い希望高校を卒業したらば、この専門学校に通うことを決意していたので、親に頭を下げて、この専門学校に通いたいとお願いをしました。
理解のある両親のおかげで、田舎から往復2時間かけてではございましたが特殊メイクの専門学校に通うことになりました。
もともと田舎暮らしで、東京には出た事がなかったので、見る景色や空気が非常に新鮮で毎日毎日楽しかったです。
まるで別世界でした。
しかしその頃、特殊メイクを勉強しながらも、僕の中でどうしても、
アクションスターのような強さを手に入れたいという願望がまだ根強かったです。
専門学校に通いながらでも、何か最強の格闘技や武術を習いたい、
喧嘩で最も強い格闘技や武術を身に付けたいと思いが強くなりました。
特殊メイクを学びながら、インターネットで、最強の武術をリサーチし始めました。
リサーチの結果、佐山聡氏が創始した掣圏道新陰流と言う武術を習うことを決意しました。
親の承諾を得て、特殊メイクの学校に通いながら本部道場に通うことになりました。
初代タイガーマスクである佐山聡先生本人もいて、あらゆることを教わり大変勉強になりました。特に学んだことは、筋力トレーニングです。
当時の僕は貧弱で、ガリガリでしたが、体鍛える毎にパワーも上がり、体もみるみる強靭な肉体になり、すごい快感を覚えました。
そして、これによって、当時見ていたシルヴェスター・スタローンやアーノルドシュワルツェネッガーといった、強靭なアクションスターの記憶が脳裏に蘇り、この時、格闘技よりも筋トレに熱中してしまいました。
この時、学校に通いながら、週三で原宿にあるゴールドジムに通いつめ、筋トレの魅力に完全に泥酔してました。
僕の肉体美への姿勢、肉体改造へのプロセスはここで築きあげました。
しかし、これが私の学校生活に影響をきたすことになります。
特殊メイクよりも、武術や格闘技そして筋力トレーニングで得られる喜びや理想が上回りってしまったのです。
挙句の果てには、特殊メイクへの意欲が収縮してしまいました。
また、このまだ15歳で、社会経験がなく、アルバイト経験も一切なかった私は、
社会の厳しさや、理想と現実の違いを学校生活で思い知らされました。
当時を振り返ると努力も知らない子供が、特殊メイクアーティストという華やかな部分だけを見ていたのです。
しばらくして挫折を迎えることになります。僕には職人業が性に合いませんでした。今でも職人業が嫌いです。地味な作業の苦しさに負けてしまったのです。
最終的に高校だけは卒業しましたが、専門学校は挫折してしまいました。両親は、なけなしのお金を叩き、借金をしてまで、専門学校と高校を両立して通わせてくれました。
両親の想いが叶わず、私は、両親の思いを踏みにじる事をしてしまいました。
その後、地元でアルバイトをする事になりました。
普通の会社に就職するというサラリーマン思考は一切ありませんでした。これからどの様にになりたいのか?どのように生きたいのか?を突き詰めて考えながら、毎日生活していました。すると、
「アクションスターになりたい」という強さへの願望が沸々と湧き出てきました。
その後、最強の武術を求めて日本中の武術や格闘技を洗いざらい片っ端から調べました。
そして調べる中で、ある外資系武術団体のジャパン本部の取締役の考えに非常に感銘を受けました。
この団体はクラヴマガと言う、イスラエル発祥の実践護身術なのですが、
この団体の代表は、留学先で見つけた、日本にない武術(護身術)の発展性を見越し、留学の傍らでインストラクター資格を取り、日本人初の護身術インストラクターとして日本に持ち込み団体を立ち上げました。
そして、今では男女問わず人気で、大旋風を巻き起こしたのです。
その彼の考え方には大変共鳴する部分が多く、体にバイブレーションが起こりました。
『日本にある文化や食べ物を日本人に紹介しても反応が無い』
と 改めて思いました。
そこで、僕はヒラメキました。
『日本にない武術や格闘技を誰よりも早く仕入れれば、僕が代表取締役を名乗れる』と思ったのです。
それも自分の大好きな武術や格闘技を教えお金が頂ければ、これ以上ない幸せだと感じました。
だから、もともと生徒として学ぼうとしていた姿勢を捨て、ビジネスとして始めようと考えました。
まずは、日本にある武術団体や格闘技ではなくて日本にない武術団体や格闘技を探し始めました。
検索エンジンには、当然日本語で入れても
当然ながら、合気道や拳法など常に日本にある団体しかヒットしないので、『martial arts』日本語に訳して武術や『Self Defence』日本語に訳して護身術などを全て端から端まで探しました。
リサーチ中、ある映画が脳内をよぎりました。バットマンです。
中学生の頃、僕はバットマンが好きだったので、当時DVDの舞台裏映像で見たバットマンが使うある団体の格闘術があったな・・・と思い出し、DVDのメイキング映像を改めて見直しました。その映画の名前は『バットマンビギンズ』です。バットマンが使う極秘の格闘術として紹介されていたのが、現在僕が代表を務めるディフェンスラボです。
このディフェンスラボを日本に持ち込むことを決意しました。
テレビや映画で沢山取り上げられている外資系武術団体であるために、日本人にライセンスを先取りされるのも時間の問題と感じ、
速日インターネットで通訳者を探しました。
安い通訳者を雇って、本部に3者通話により、コンタクトを取りました。
日程を合わせ本部に連絡すると、たまたま創始者であるアンディが電話に出て初めてアジア人からのコンタクトという事で、喜びと共に歓迎してくれました。
しかし、日本から本部のイギリスに渡り、ホームステイして数年学ぶとなると、数百万の莫大な金が掛かるため、創始者から特別な、オンラインスクールの学習システムの提案をいただきました。
その提案で契約を結び、3年間必死に勉強して、ようやくフランチャイズ権&インストラクター権を頂く事が出来たのです。
現在はインストラクター5年目に入り、インストラクターレベルはアジア最高レベルを保持しています。
これからのことGOSHINを初澤竜多と共に盛り上げていきましょう。
あなたにストーリーがある限り、私のストーリーに終わりはありません。
どうぞよろしくお願い申し上げます。